2017年11月6日月曜日

ローレゾ通信(2017年11月号)

不定期配信のニューズレター「ローレゾ通信」を11月06日(月)14時半に配信しました。以下(↓)配信内容の全文。等幅フォント推奨。


Bcc:でお送りしています。
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 ローレゾ通信(旧モザイコ・ニュース)
            ULR news letter …… 2017年11月号

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配信日:2017年11月06日(月)※等幅フォント推奨。

〜〜《目次》〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  ◎ まくら

  ◎ ULR 米国にてクラウドファンディング中

  ◎ ULR 特許(日本国内)取得

  ◎ 思い通りにならないものとの付き合い方

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もはやニューズレターというよりも私信? ほぼ10ヶ月ぶりで、ご
ぶさたしております。目次にある ULR案件を中心にお知らせ/お願
いしたく、筆を執りました。まくらと巻末はおまけです。

ULRは Ultra Low Resolution Painting(超低解像度絵画)の略
で、旧「モザイコ」の進化形となる新シリーズ名です。

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■ まくら
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J.L.ゴダールの映画「カルメンという名の女」のなかのセリフ、

     私を愛したら、あなた終わりよ。

この意味をロマンティックにとれば、きっと昔ながらのカルメンな
んでしょうけれども。DVD を見返していて先日「私を愛したら、あ
なた(の出番)終わりよ」と聞こえた瞬間、私、大爆笑。出番が終
わってもまだ出ている俳優の困った顔。オレ、何をすればいいんだ、
と。映画って自由なんだと思いますな、こういうとき。

最高。ちょっとした映像の見事な美しさだとか、出演もしているゴ
ダール自身の可笑しさ(ウディ・アレンみたい)だとか音だとかも
さることながら、従来の深刻さを爆笑に変えるこの換骨堕胎ぶり。

常識なんでしょうか(椿山荘 Jan.18, 2003以来この映画お気に入
りで何度も観てますが、さすがに新発見とは思わないものの)この
解釈。とにかく、こんなことが私も、したいのだと強く実感。いい
シャレ。人生、こう行きたいもの。

で、深刻な本題(↓)へ。

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■ ULR 米国にてクラウドファンディング中
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とね、タイトルはかっこいいんですが……公開までのことで頭がい
っぱいで、私、その後にまで想像が及んでいなかったという。

虫のいい話はそうそう(当たり前ですが)なくて、そりゃどの世界
でもお金を集めるのは大変。

コネやしがらみに頼るのではなく実力で、という意味でも米国での
クラウドファンディングに夢をいだいたのは事実。中小企業診断士
の先生から紹介され、準備を始めたのが09月。台風のなかビデオ自
撮りして、英文テキストも何度も書き直し、11月01日(水)によう
やく公開、クラウドファンディング開始しました(↓)。
https://igg.me/at/ulr/

で、ふたを開けてみたらこの体たらく。まだ 1%って……。

今回、宣伝も兼ねての海外クラウドファンディングには違いないの
で、これを機に英語でもTweetするようにしたりとか、まぁ自分の
尻を叩くいいチャンスではあります。ULR がカラー版へとさらに進
化した理由のひとつも、たしか今回の件(だけではないものの)で
すし。

サボっていたニューズレター(このローレゾ通信)もそんな事情で
今回お送りできているワケで。何はともあれ成り行きに感謝。


米国での特許(※後述)取得費用を捻出するために今回、版画とポ
スターを販売していきます。買ってください。あるいは情報拡散に
ご協力を。あるいは ULR=超低解像度絵画のために祈る、歌う、踊
る、歯ぎしりする、何でも結構です、よろしくお願いいたします!

12月10日までやっています。
https://igg.me/at/ulr/

INDIEGOGOサイト ULRページの日本語訳はこちら(↓)に。
goo.gl/hRee2Q


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■ ULR 特許(日本国内)取得
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2015年11月に特許出願した「超低解像度画像作成装置及び超低解像
度画像作成方法」の査定が、先頃(09月11日付)おりました。

ひとつの拒絶もなく、意外とすんなり。

これも字面上(↑)なかなか景気いいんですが(めでたいです本人
的にも、もちろん。弁理士の先生はじめお世話になった皆々様に心
より感謝!)これ名誉のために取得したわけでなく、商売用ですか
ら。今後、お金に換えていかないことには意味がない。

J-PlatPt(特許情報プラットフォーム↓)から「超低解像度画像作
成装置」などでキーワード検索いただけます。
https://www.j-platpat.inpit.go.jp/

グローバル化のなかで日本国内だけでもアレなので、とさらに専門
家のお力と国の交付金などの助けを借りて、PCT 国際出願したのが
ほぼ一年前。指定国(具体的にはUSA)への移行期限が来年5月に迫
り、特許文面の翻訳費用やエージェント関係費用を捻出していくの
がつまり、先ほど書いた今回のクラウドファンディングの目的。

ね、必死なんですから。多くの方々同様、私もこう見えて、生き残
っていくために。……ん? 生き残る?


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■ 思い通りにならないものとの付き合い方
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基本的に自分(の頭)よりも環境や偶然、成り行きのほうが賢いと
思ってます。これまで何かが思い通りになった試しがほとんど、な
いだけに!

後悔もないですが、おかげさまで、忘れっぽいこともあり。
いや後悔どころか感謝してます、自分をここに導いてくれたあらゆ
る偶然(いいことだけでなく、いやなことも含む)に。実際いまの
自分があるのは大嫌いなアレや、アイツのおかげでもあると思える
のは精神衛生上も大変よろしく。


> 遅すぎること、なんてホントは、ひとつもありは、しないのだ。
> 何するにせよ、思ったときが、きっと、ふさわしい、とき。

バンド The Blue Hearts(↑↓)ですが、どんだけ正しいこと言
うんや、と思いますな。何歳だったんだろう、彼らこの時。
https://youtu.be/XH9VvRhu4ks

あらゆる偶然を釜で煮る、と言ったのはニーチェ「ツァラトゥスト
ラ」でしたっけ? 本当に、生き物が、生きるって不思議なことだ
と思います。自然相手のサイバネティクス系であってみれば、人間
にしたところで、やはり個々の意思などよりも先に、まず偶然があ
る。その偶然がまた、人間や生き物を変えていくというね。

生き残るという言葉が、昔は嫌いでした。死ぬ人のことを考えると
逆に、さもしい気がして。しかし『荘子』以降は(↓)別。
http://mozaikolab.blogspot.jp/2013/05/blog-post_8.html


今回もここまで読んでくださった皆さまに、心より感謝。

そして最後に再び。出来ましたら(↓)ご支援あるいは情報拡散へ
のご協力などなど、歯ぎしりでも何でも結構です、よろしくお願い
いたします。

12月10日までやっています。
https://igg.me/at/ulr/


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 ULR / モザイコ http://www.mozaiko.info

 清水温度 ONDO Shimizu

 [E-mail] ondo@mozaiko.info [携帯] 090-4087-0806

 住所:〒503-0848 岐阜県大垣市古宮町161-A14 モザイコ
 TEL/FAX 0584-47-7804

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2017年11月4日土曜日

INDIEGOGO 日本語訳

11月1日の夕方(日本時間)公開し、開始した米国のクラウドファンディング INDIEGOGO サイトの全訳です。ぎこちないですが。画像をクリックすると(↓)実際のサイト https://igg.me/at/ulr/ へ飛びます、2017年12月10日まで。よろしくお願いします。

Campaign Card Image



私の名前は清水温度です、日本に住んでいて、「超低解像度絵画」をやっています。私は自分の国で最近特許を取得し、来年には米国でも特許をとれたらと思っています。
左の写真であなたが、芸者ガールを見られることを期待します。友達が私のバッグでさかさまに偽装してくれました!




STORY

まず最初に、

ULRは “決して” 抽象ではありません。もし具象的な形態が見えなければ、後ろにさがるか目を半開きにしてください。外見が突然、変わりますから。

ULRについて

始まりは2006年でした、私は「モザイコ」(ULRの初期バージョンであり、かつ現在もその基礎)をビジネスとして始めました。それまで私はNPOの事務局をしていて、近隣のアートやアーティストのために走り回っていました。もしそれが上手くいっていたら私は、いまでもNPO事務局に満足していたでしょう。

  • アートはもっと自分でお金を稼ぐ必要があると思いました。
  • 私は自分のスキルを使って実験を始めることに決めました。
  • 作品をお金と交換することは私に人生について多くを教えてくれました。


いくつかの会社とのコラボレーションを通して、商品が作られ、販売されました。ところで、「モザイコ」を制作するために、私はいつも強い集中力を必要とします。それが実際、私を絵描きにしたのだと思います。2012年に、25年ぶりにキャンバスのまえに立ったとき、私はもはや以前のようには物を見ておらず、以前のようには描いていないことに気づきました。後に、美術画廊でのデビューとなりました。

  • 2013年に「モザイコ」は ULR へと進化しました。
  • ULR は同じモチーフから様々な外見をつくることができる仕組みです。
  • それを2015年に日本で特許出願し、今年2017年に査定(特許取得)となりました。
  • 来年、米国でも特許取得を望んでいます。





私たちが必要なものと、あなたが得るもの

米国で特許を取得していくために私は、お金を集めなくてはなりません。それが私がここにいる理由です。あなたのために私は今回、スクリーン版画とポスターを作ります。もちろん日本のギャラリーでも販売していくつもりです。できることは何でもやります。もし、あなたが私のアイデアや活動に興味をもってくだったなら、買ってください! それが私を次のステージへ押し上げてくれるでしょう。

  • スクリーン版画には 3つのバリエーションがあります。見た目が異りますが、モチーフは同じです。
  • スクリーン版画はそれぞれ30枚限定です。20枚が米国など向け、10枚が日本向けです。
  • ポスターには 3つのバージョンがあります。パターンが異りますが、モチーフは同じです。
  • ポスターは今回のみの「クラウドファンディング向け」特別版です。




考えていることを少しお話ししていいですか?

目のわるい人のほうが、目のいい人よりも、よく見えるものがあることを、あなたは信じますか? 多くの意味において今日、LESS は実際、かつてよりも MORE になりうると思いませんか? 私たちの脳は不思議に満ちています。私は絵を描いているとき、いつも日本の禅や俳句文化を思い出します。これは誇張ではありません。いつか私たちが「文化」culture や「耕すこと」cultivate のリアルな意味について、いくつかの発見を持ち寄り、話し合えることを期待しています。




実際的な話に戻りまして、

もし、あなたが潜在的なエージェントか、顧客か、投資家か、何かの専門家であれば、どうぞお気軽にご連絡ください。2018年 5月までに私は特許の翻訳と、米国での申請を終えなくてはなりません。あらゆる助けを必要としています。以下は私の特許情報です。

  • International Application No.: PCT/JP2016/085108
  • Pub. No.: WO/2017/094641


その他、あなたのできること

買っていただく以外にも、どうぞフォローや、シェア、ツィートなど大歓迎です。もしあなたがメディア関係の友達や、友達の友達をもっていたら、かれらに ULR のことをご紹介いただけたら光栄です。他にも、よかったら ULR のために祈るか、歌うか、踊るかしてくださると何かが変わるかもしれません。どんなことでもOKです、お願いします。日本語でいうと「Yoroshiku Onegai Itashimasu!」






2017年9月23日土曜日

声の文化と文字の文化

かれらはただ、どうせおもしろくないことがわかりきっている純粋に論理的な形式に、自分たちの考えかたをわざわざ合わせる気がないだけのことなのである(p114)……と、いきなり抜き書きしましたが、私も大賛成。

W-J・オング『声の文化と文字の文化』ずっと置きっぱなしでした、書棚の中に、それこそ何十年も。20代の頃、血迷って大学院(ぜんぜん畑違いの)目指したときに、たしか、かじったんだったか。タイトルもなんだかメディア論っぽくて、おもしろそうに思えず。

それが、おかげさまで “イイカゲンさ” が自分的にもここ数年、大きなテーマとなってまいりまして、加えてこのあいだ風邪ひいたとき、他にもう、なんにもできないもんだから仕方なくというか何というか、ふと手にとったのがコレ。ほんと気が向くっていうのは不思議なもんで。


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で、読み始めたら想像以上におもしろくて。そうそう、文字でこうして書いておかないと私も、すぐ忘れる。そんな、文字以前の人々の記憶について。どうやって、ものごと記憶されていたんだろう。興味津々。逆に小学校の頃から私もずっと思ってました、いちいち書かれたもの(教科書)丸暗記する必要あるのかと。いいじゃん書かれてあるんだから、と。こちとら機械じゃあるまいし。

歌い手は、基本的には、奇妙にも公共的なやりかたで思い出しているのである。かれが思い出しているのは、記憶されたテキストではない。なぜなら、そんなものはないからである。また、逐語的なことばのつながりでもない。かれが思い出しているのは、他の歌い手たちがかつてそれを歌い、かれがそれを聞いたところの主題やきまり文句である。かれはそれをいつも違ったふうに思い出す。つまり、特定の場で、特定の聴衆のために、自分流にそれを朗誦する rapsodize《綴りあわせる》、つまり、縫いあわせる。(p297)

いま本当によくわかる気がする。逐語的に丸暗記なんぞ何であれ、できるわけもないし、する必要もない。役所の人なんかは仕事柄、やらされるのかもしれませんが、ナンセンスだと思う。ついでに言うと冒頭の「純粋に論理的な形式」にしたところで。いや、ふつうは書かれてないと(そしてそれが頭に入ってないと)不安なのか? ある種のビョーキ?

印刷は、それを意図しているわけではなく、なにげないしかたでではあるが、しかし、大変着実に、つぎのような印象を与えることができる。つまり、テクストがあつかっている材料《内容》もまた、同様に完全であり、一貫している、という印象である。(p272)

あくまで “印象”、信用しなきゃいいだけの話だけど。「印刷物によって、書くことが人びとのこころに深く内面化されるまでは、人びとは、自分たちの生活の一瞬一瞬が、なんであれ抽象的に計算される時間のようなもののなかに位置づけられているとは思ってもいなかった」(p202)と、アッパレ!文字以前の人びと。

ある組織されたものを、口頭による構成は知らないのだし、そうしたものを考えてみることさえできない(中略)。人びとの生活のなかには、クライマックスに向かってすすむひとすじのプロットなどというものが、できあがったかたちで見いだされることはない」(p292)……OK、そう思います私も、好きな落語のことなんかも思い出しながら。


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しかし、何はともあれ「文字言語には、何百万何千万という人びとの精神のしるしがきざまれている」(p222)のだし、話し言葉に比べて「文字言語の資源《語彙》は 、まったく違った次元の大きさ」(p224)なのは事実。「これらの《書くということと印刷という》技術なしには、近代の自我の私有化も近代の鋭敏な二重に反省的な自己意識も不可能」(p352)だったのであり、その先にこそ「いっそうの内面化とともにいっそうの開放へと向かおうとしている現代の意識の進化の流れ」(p364)がある、と。出ましたプロット。

実際、自分も含めて「文字を使う人びとは、原則として、陳腐な常套句 cliche など絶対に使用しないように教育されている」(p55)のは心楽しいことだし、いまこうして忘れないようメモっていること自体、もちろん文字以降の人間のおこない。使い方さえ間違えなければテクノロジーは、素晴らしいものに違いない(ただ使い方、気に入らないケースが世の中のほとんどなだけでさ。← 清水の私見ね)。そうそう、この本のタイトルもよく見れば「Orality and Literacy --- The Technologizing of the Word」と、おもしろいんじゃん、じつは。がんばれテクノロジー、の使い手たち!


書くことは人工的であると言うのは、それをけなしているのではなく、むしろほめているのである。(中略)技術とは、たんに外的なたすけになるだけのものではなく、意識を内的に変化させるものでもある。(中略)十分に生き、十分に理解するためには、近づくことだけではなく、離れることも必要である。これ《離れること》こそ、書くことが、他のどんなものにもまして、意識にあたえるものなのである。(p174-175)


2017年9月7日木曜日

JAPAN 1974-1984/光と影のバンド全史

高校〜大学時代どれほど影響されたことか、このバンドに。20代のようやく後半から「同じ David でも、Byrne」となったものの、それまではもう Sylvian が神様みたいなもので。自分が作る曲なんかでも、歌い方も含め(当社比)さんざん真似してました。Robert Fripp とやった「The First Day」くらいまで。

そんな遠い昔話のはずが、今になってまた『JAPAN 1974-1984/光と影のバンド全史』なんての出るから、もういいじゃんと思いつつ、つい買ってしまった。で、興味本位に読み始めたら意外にこれ、ひとつまえのブログ記事「ロック・バンドの売り出し方」の実践編といった感じで、おもしろくて。





何ページ目だったか、「失業した美容師のための音楽」とはナルホド(今となっては)上手いこと言うなぁ、と。そもそも、たいして音楽的な内容もないうちからメンバー念入りに化粧だけはしていて、おかげでイギリス本国では閑散としたギグをおこなっていた時期に、なんと日本では女の子たちがキャーキャー騒ぐ、いきなり武道館。

ホモセクシャルでもゲイでもなく、単にそういう美意識だったわけで当人たち。David Sylvian(以下、デビシルと略)の「世界一、美しい男」っていうのも考えてみれば、かなり恥ずかしい賛辞には違いない。しかし、やがてデュラン・デュランなどのフォロワーや「ニュー・ロマンティック」ブームがあとに続くとしたら、女々しいだの何だのさんざんバカにされた JAPAN の初期から中期も、ムダではなかったと。やり続けた図々しさも立派ですが。

日本のしかし武道館がなければ、つまりその予想外な収益がなければ、それ以降の JAPAN があったかどうか。そもそも、たいして実力もない彼らをレコード会社にどうにか売り込んだマネージャーの頭の中のこと、そして、本人たちには不本意だったとしても(ならば、なぜバッチリ化粧する?)日本のミーハー・ファンたちの大貢献について。奇しくも JAPAN なんて名前がそもそも……アートを結果的に支えることになるヒト、モノ、カネ、のじつに不思議な縁。


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外向きなパンクとは逆の、引きこもり系。そのくせ、アーティスト気取りだけは当初から人一倍という、いわば「困った人たち」。社会的なメッセージもなく、イメージやスタイルのみ。音楽雑誌がイライラして、けなす気持ちも今なら理解できる。

しかし、昨今の時代状況との比較でいうなら、引きこもって自己評価をどんどん下げて自滅していく(あるいは、傷を舐め合う弱者の群れに堕していく)連中に比べれば、無根拠とはいえ「困った人たち」のプライドの高さはまだ、何かを生み出す可能性がある? いや内省的なアーティスト気取りって個人的には、20代の半ばに死ぬほど(当社比)勉強してから一転、堪え難いものになったけど。

とにかく。絶対に化粧をやめなかった JAPAN の頑固さ、実際の知性はともかくとして(?)美くしくあろうとすることで、何と言われようが自己評価だけは断じて下げなかった彼らの図々しさが、やがて本当に時代を動かすようなものを作り出してしまったという、この流れ。妙な教訓がここには何かあるような気がする。それこそ女性が美しくあることにも似た? 異性に媚びるっていうのとは違うよね、これ。

インテリジェントだとは思わないけど、とにかくアートとしてその “質感” においては本当に、見事な達成があったと思います、結果的に。特に JAPAN「TIN DRUM」から、デビシル関係のソロも含めた何枚かにかけて(それ以降はフォローしてないので分かんないけど)……すべて表層といえば表層、あくまで質感/肌触りの話にすぎないにしても!


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で、ヒト、モノ、カネ、のこと。作曲者としてクレジットされるのが当初からデビシルのみで、権利関係の契約もそれに基づき他のメンバーと違っていたり、名実ともに有名になってからのワールド・ツアーのギャラが全員、思いのほか少なかったり。興味深い話がいろいろ。観客動員が見込めない時期、つまりカネにならない時期にとっては大した問題でないことも、売れるバンドになってからは大違い。

それこそ、カネにならない時期から面倒みていたマネージャーや、レコード会社の言い分もあるには違いない。あれだけバッチリ化粧していながらサービス精神なく、プロモーション・ビデオにもライブ・パフォーマンスにも、あんまり凝らない/凝れないだとか。下手くそな頃からレコーディングには命をかけるものの、商売的なところには無頓着だとか。

それが「カリスマ性」にたまたま見えたとしても、やはり基本、いい気なもんだと思います。というか不器用なんだと思う、連中。他人事じゃないけどさ。ミックは別か? 本当に変なバンド。それが、たまたま日本のミーハー・ファン(私も末席ながら)などにも支えられながらバンド=ビジネスとして持続し、思わぬ進化を遂げていく様子。何がさいわいするか分からないもので。


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バカ(1985年頃?)
その内省的なアーティスト気取りを真似したバカ(私)の青春時代の思い出はともかくとして、今ひょっとして学ぶべき/再考すべきことがあるしたら、ある図々しさについて、つまり美しくあろうとした彼らの化粧=頑固さについて、かと。

ある種のプライドと心意気ってことね、要するに。多様性の時代なりの。上の記事(↑)真ん中へん参照。あのー、言っときますけど YMO 周辺とか男でもみんな化粧したんですから、この頃は。

ちょっとでも動け、さらに歴史!


2017年8月26日土曜日

ロック・バンドの売り出し方

いろんな人や自分の参考になるかしらんと、John Farndon『So, You Think You're Clever?』から、このあいだ読んで以来どうしても頭から離れないこの一章「How would you market a rock band?」を抄訳しました。初版は2014年。あくまで清水による編集と一部意訳も含む、抄訳ね。以下(↓)全部 p.18 - 24より。



二世紀前に産業革命が世界に転がり込んできたとき、ビジネスは、製品についてのことだった。(中略)しかし1930年代には、あまりにも多くの製品が世の中にあふれだし、競争に勝つためにビジネスは、そとに出て売れ!売れ!売れ!と。そして今日、多くの選択肢と情報によって顧客はどんどん弁別され、ビジネスにおいてはマーケティングが王様となった。

私のような物書きでさえ、マーケティングの狂乱のなかに引きずり込まれ、いまや出版社が望むのは本質的に、偉大な本 book ではなく偉大なフック hook なのだ。

したがって、私が最初にしなければいけないことは、このバンドの hook を、つまり彼らの Unique Selling Point を、ハッキリさせること。


全員女性のメタル・バンド「Cleaners」をまず「Night Shift Zombies」と改名し、目指すは、彼女らと同じ夜間の掃除スタッフや低賃金アルバイトを、ちょっとクールにすること。顧客層もここに、ニッチだが総数はデカイここに絞り込む。
ブランド構築がキーとなる。「製品開発」つまり、まず彼女らの見た目と衣装をデベロップすること。信憑性を保つべく、わざとらしくなりすぎないように。友人のスタイリストに頼んで、グラムで、ちょっとだけ悪魔っぽい掃除スタッフにする。そして、深夜のオフィスでの写真撮影。 
ロック・バンドのアピールは部族的だ。世の中の、多くの夜間アルバイトが彼女たちに共感し「そう、これは本当にやりたいことでなく、どうでもいい仕事だけど、ちょっと私たちってクール……」となるように。ユーモアも重要だ。


以上が、マーケッター言うところの「solution」つまり、ある特定市場ニーズに的を絞り、そこにフィットするよう製品をつくり込むこと。そして次にやらなくてはいけない三つが、マーケティング理論で言う「information」=人に伝えること、「value」=顧客に対してそれがもつ価値、そして「access」=いつ、どこで人々にそのバンドの音楽を聴かせるか、だ。

ちなみに上の(↑)4つは SIVA というアクロニムで呼ばれ、そういった略語の例では 1960年の Jerome McCarthy による 4P(product、price、place、promotion)や、それを Robert Lauterborn が1990年にアップデートした 4C(consumer、cost、communication、convenience)が有名。Lauterborn は、顧客が、製品のたんに値段だけを考えるのではなく、それにアクセスするためのコストや、クールでないものを買うときのイメージ・コスト、地球環境に有害なものへの心理コストなども考えるのだと主張。SIVAはその後の、インターネットが当たり前となった時代の懐疑的な顧客に向けた、よりソフトでインタラクティブな種類のマーケティングに重点を置く。


ロック・バンドにとって、お金が儲かることは長期的ゴールであり(したがって value はまだそれほど気にしない)まず何よりフォロワーを増やすこと。それをお金に換えるのは後だ。なので、solution の次は、information と access。その多くはインターネットを通じて為されることになるが、従来の方法も忘れないように。 
Tシャツやバッジやステッカーなどの従来メディアは、瞬時に切り替わるインターネット画面には出来ない宣伝をやってのける。例えば、クールな女性あるいは男性が、バンド名の入った目立つTシャツを着て街を歩いてたら、関心は否応なく高まるだろう。 
そしてインターネット。バンド初期においては、SNSよりも E-mailアドレスのほうが重要だ。私はバンド用にまず、何十人かのコア・サポーターを確保する必要がある。その友人や、友人の友人へとボールが転がっていくスタート地点として。ネット上のトラフィックが持続し、そして徐々にエスカレートしていくように。


同様に重要なのは、バンド「Night Shift Zombies」に特別な関心をもってくれそうなメディアやサイトにちゃんと、ねらいを定めること。blanket marketing で時間をムダにするよりも。私なら、これはと思うブロガーや、サイトや、ラジオ局にアプローチし、個人的にまず良い関係を築く。かれらが実際にバンドを聴いたり、音楽をかけてくれたりするように。今日のマーケティングとは、顧客や興味をもってくれた集団との、まずは個人的な関係なのだ。

そして、ライブ・ギグが重要になってくる。なぜなら、これがファンたちの基点となり、また一般の人々へのニュースも継続的に提供するからだ。

もちろん、YouTube 映像は抜きん出て効果的なマーケティング・ツールだ。かならずしもお金がかかっている必要はないが、日々アップロードされる星の数ほどの映像のなかで、インパクトをもってパッとそれと分かられる必要はある。そして、


私は、ビデオ撮影をイベントにしようと思う。長時間使用できるオフィスを見つけ、夜間、出来るだけ多くの掃除スタッフの格好をしたファンをまえに、バンドにギグをやらせて撮るのだ。 
曲は、ユーモアのあるやつ。そして編集でそれをさらに強調する。より広くへ伝播するコツが、これだ。 
すべての掃除会社や夜間アルバイトの関係会社に連絡し、Gumtree みたいなものにも「掃除スタッフ募集」の広告を出し、ビデオ撮影への参加者を募る。そして、あらゆるメディアにプレス・リリースを打ち、このイベントを告知する。


以上。あとは運まかせ。もしラッキーなら半世紀後、人々は2010年代を、Night Shift Zombies の時代として回想するだろう。ローリング・ストーンズにとっての1960年代のように。





2017年8月18日金曜日

お暑うございます。裸婦27th

はだかで夕涼みってか。夏っぽいっちゃ夏っぽい? 「Beginner's Luck」で一区切りして以来、ずいぶんペースがゆっくりになった Figure Study(裸婦)の、27点目。今回は背後から。P12号キャンバスに油彩。地元の大垣市スイトピアセンターにて 2時間半 x 3回。習作ということで、まぁ。




スイトピアセンターは 8月6日が最終日だったんですが、その後バタバタで結局、今日(8月18日)まで手を入れられず。気になっていたところを先ほどようやく少し直して、打ち止め。おわり!

「具象と抽象のあいだ」だとか言われますが、あのー、写実(具象)ですから本人的には、これでも。見えたままを写そうと、いつだって必死。しかし正直、まぁ、後になって見ると自分でも「なに描いてるんだ?」と思うところありますが。とりあえず背景は、さすがに現場でそこまで描ききれない(時間ない)ための苦肉の策ね。


2017年8月5日土曜日

欠乏についてのメモ

机のまえにホワイトボード設置しToDoリスト書き出すようになったのが今年の3月で、何年ぶりかに手帳を買ったのが 5月。どうしちゃったんだろうと思いますな、オレ。要するにスマートフォンに決まった予定は入れられるのに、未定の「すべき」予定を書き込めないことに困り果て。本来、PDCAや効率や自己啓発云々のビジネス話、まったく興味ない(信用してない)んだけど。

ひさびさのハヤカワ・ノンフィクション文庫、S.  ムッライナタン& E. シャフィール『いつも「時間がない」あなたに……欠乏の行動経済学』を本屋でふと手に取って、そのまま数日間ハマりました。ビジネス書でなく学術書。やなタイトルですが日本版(原書はズバリ『SCARCITY 欠乏』とのこと)。何はともあれ自分の無意識に、いつもながら感謝。

へたに要約/構成すると、つまらない話になりそうだったので(ちなみに著者お二人はハーバードとプリンストンのスター研究者だそうで、「心配ごとが悪循環を生む」みたいなベタな話に短絡させてしまっちゃ元も子もなく)以下、ゴロッと抜き書きのまま。



処理能力


欠乏はそもそも、重大な心配ごとが連続発生するものである。どこにでも誰にでも起こりうる夫婦げんかとちがって、お金や時間にまつわる心配ごとは、貧しい人や忙しい人の周りに群がって、めったに消えない。(p97)

人は自分の持っているもの(時間、お金、摂取できるカロリーなど)がごくわずかしかないと考えるとき、欠乏の物理的な意味に重点を置く。遊ぶ時間が少ないとか、使えるお金が少ない、と。処理能力への負荷という問題があることからして、別の、おそらくもっと重大な不足があると考えるべきだろう。(中略)まぬけになる。衝動的になる。使える処理能力が減り、少ない流動性知能と実行制御力で、なんとかやっていかなくてはならない……生きるのはさらに大変になる。(p101)

「処理能力」という包括的用語を使って、精神機能の二つの主要な関連する要素を指すことにする。(中略)第一は一般に「認知能力」と呼ばれるもので(中略)第二は「実行制御力」(p75)/同じ人でも、欠乏に気を取られているときのほうがそうでないときよりIQが低くなる(p82)/自制心は実行制御力に大きく依存している(p84)

欠乏による負荷をかけられた頭脳は、もともと無能な頭脳と勘ちがいされやすい。(中略)まったく逆だ。誰しも貧しくなると、有効な処理能力が落ちるのだ(p101)



近視眼の功罪


欠乏も人をエキスパートにする……「荷づくり」のエキスパートだ(p140)/要するに、貧しい人は1ドルの価値のエキスパートである(p142)/彼らは1ドルを有効に活用する。お金の価値のエキスパートになる。この専門知識のおかげで、ある種の状況では彼らは合理的に見え、矛盾しない傾向になる。しかしこの局所的な専門知識は足かせにもなる。(p155)

人は重要でしかも期限がすぐ来る課題に取り組むとき、爆発的に生産性が上がる。(中略)その一方で多忙な人は “重要だが緊急でない” 課題をほったらかす(p173)


一生懸命やろうとしすぎていることに気づく(p203)/欠乏に集中しすぎること(p204)/大事だと思うとうまくいかない(p204)/無意識にやった“ほうが”うまい(p206)/ダイエットが難しいのは、まさに本人が避けようとしていることに心が集中してしまうから(p209)

スラックがほとんどなければ、失敗する余地がほとんどない。そして処理能力が低下していると失敗しやすい。(p126)



スラック


スラックはたんなる非効率ではなく、心のぜいたくでもある。豊かであれば、より多くの品物を買えるだけではない。ぞんざいに荷づくりをするぜいたく、考えなくていいぜいたく、そしてまちがいを気にしないぜいたくが許される。ヘンリー・デイヴィッド・ソローが言うように、「人の豊かさは気にしないでいられるものの数に比例する」(p130)

お金にしろ、時間にしろ、摂取できるカロリーにしろ、スラックがあれば選ばないというぜいたくができる。「両方いただくわ」と言える。ミルトン・フリードマンが理想とする「選択の自由」に反して、スラックは選択 “しない” 自由を与えてくれる。(p121)

アシスタントは「十分活用されていない」からこそ、セント・ジョンズの例の空き部屋と同様、貴重な存在だったのだ。(p263)

1980年代が無駄を削ることの効果に関する教訓だったとすれば、2000年代は近視眼的経営の危険性に関する教訓だった。この二つはおそらくつながっていただろう。無駄を削りすぎ、スラックを取り除きすぎると、残るのは今日の収支を合わせるためにつけを将来に回す経営者である。(p266)



欠乏に合わせた設計


まちがいが高くつき、失敗する可能性が高いのなら、欠乏に際して人は慎重になるのではないだろうか? 言うは易し行うは難し、である。(中略)まちがいの多くは不注意から生じるのではなく、人の精神機能に深く根ざしている。努力と注意だけでは、計画錯誤はなくならないし、頭にないことを思い出すことはできないし、あらゆる誘惑に抗う鉄の意志は身につかない。(p125)

貧しいふりをするのは至難の業である。自分で自分をくすぐることができないのと同じで、締め切りがあるふりをして、自分をごまかして一生懸命働くのは非常に難しい。(p46)

まちがわないこと、あるいは行動を改めることを要求する代わりに、コックピットを設計し直すこと(p242)

将来いつか状況がもっと楽になったときに賢明な判断を下そうと計画していても、現実には、その将来が巡ってきて再び状況が厳しければ、あなたは賢明な判断を下さないかもしれない。だから、賢く先手を打ってつなげておこう。(p301)


貯金は重要だが緊急ではない課題であり、ほとんどいつもトンネルの外に出てしまう(p287)/手術室をひとつ使わずに空けておく(p257)/欠乏に直面したとき、スラックは必要不可欠である(p264)/「衝動貯金」(p291)/心がけを必要とする行為を、できるだけ一回限りの行為(清水注:あとは、ほったらかし)に変えること(p297)




以上、たしかに、と思ったり、ホントかよ、と思ったりしながら読了。お利口だけではどうしようもない、ということを真のインテリであればあるほど痛感しているはず。なだけに、例えば「バカ」や「ヤケクソ」の可能性を、いわゆるビジネス話っぽい優等生的お利口さから、どう救済・保護しつつ、批判するか。わたし的には、やはり、再度ひとつだけ引用するなら p130の(↓)これかな。合掌。


考えなくていいぜいたく、そしてまちがいを気にしないぜいたく(中略)。ヘンリー・デイヴィッド・ソローが言うように、

「人の豊かさは気にしないでいられるものの数に比例する」