2017年7月12日水曜日

ゆるゆる英語サロン

初期のチラシ
岐阜市内のビッカフェで昨年から始まった「ゆるゆる英語サロン」の試みが、おかげさまで続いておりまして。当初は洋書やエッセイなんかを文法解説しながら読む、みたいな感じでしたが途中ポシャリかけて、不定期開催(ほぼ月いち)となった最近はすっかり英語 Joke サロン。

ここんとこ蒸し暑いでしょ、だから準備するの面倒だなぁと思うこともあるワケですが、ここが Joke のすごいところ(当社比)で、ネタ選んでワープロ打ち始めて「ぷっ」と自分で吹き出したらOK、あとはもう面倒じゃない。しょーがねーなー、なんて笑ながらスイスイ、てなもんで。大概のことどうでもよくなるっていうか。日々の暮らしや仕事もこうありたいですな。何なんでしょう Joke/笑いの、この力。

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前回 7月8日(土)15時〜 は、常連の三人娘+お初の Hちゃんの計4名の参加者で。なんとなく各人にベスト Joke のアンケートも初めて、とってみたのでその紹介がてら。A3びっしりの Joke の中から例えば(↓)こんなの。

Peter: Mommy, Mommy, There’s a big dog, and he’s bigger than an elephant!
Mother: Now, Peter! You know I’ve told you a thousand million times not to exaggerate! 
ピーター:母ちゃん母ちゃん、おもてに大きな犬がいるよ、象より大きいよ!
母:ピーター! 話を大げさにしちゃいけないって、いったい何億回いったら分かるの!

Mちゃんベスト。しょうがないですな。たわいもない。この、たわいもなさがいいんだけど「大きくなったなぁ、坊主!」「小さくなったら、なくなっちまうじゃねーか」みたいな。それに比べりゃ、英語は三桁ずつちゃんと括りが変わり(1 thousand =1,000 / 1 million=1,000,000)日本語の百万億倍わかりやすいなんて話はこの際、野暮ってことで。

英語はまだまだ外国の言葉ですから、習慣なんかの違いもあり。ものの本によると訴訟大国アメリカは弁護士の数も日本と比較にならず、何かあるとすぐ訴え/訴えられて。言い訳させたら日本一の(アメリカだろが!)弁護士先生、大活躍だそうで。

What would you do if you found yourself in a room with Hitler, a terrorist, and a lawyer, and you had a gun with only two bullets?
I would shoot the lawyer twice. 
ある部屋にあなたが、ヒトラーとテロリストと弁護士と一緒に閉じ込められ、拳銃に弾が二発だけ入っていたとします。誰を撃ちますか?
弁護士を二度撃ちます。

Rちゃんベスト(↑)残酷ですな女子は。平気でこういうの選ぶ。きっと実際にも撃ち殺したい奴がいるんですな(ホントかいな)……それに比べりゃ、仮定法の説明なんざ屁みたいなもんで。

人種ネタも Joke の定番ですが、Yちゃんベストはこちら(↓)アイルランド人ネタ。ウィスキーの本場でもあり、結婚式と葬式の違いは後者のほうが一名だけ(死んでる奴のぶんだけ)呑んだくれが少ない、という土地だけに……

Q: Why wasn't Jesus born in Ireland?
A: He couldn't find 3 wise men or a virgin.  
Q: なぜキリストはアイルランドに生まれなかったのか?
A: 賢者 3人も、処女 1人も、見つけられなかったから。

荒れてますなぁ。Yちゃんも大いに親近感?(失礼)……とはいえ「東方の三博士(賢者)」については私が逆に、教えてもらったんだっけ? 最近の若者はマンガやドラマで意外なこと知ってるから、うっかりできねぇ。そして最後、Hちゃんベストは(↓)これだったよね。

What’s the difference between a wife and a terrorist?
We can negotiate with terrorist. 
妻とテロリストの違いは何か?
テロリストとは交渉の余地がある。

Joke の名脇役「テロリスト」がだんだん、いい奴に見えてきたりなんかして……要するにさ、女性、みんな(↓)ニコニコしてるけど怖いってことね、本性。真ん中でオレちょっと怯えてる感じするのも、そのせいだな。それにしてもSNOWアプリの一人だけ、まー似合わないこと似合わないこと(なかなか認識してくんないし)おもしろかったです、サンキュー参加者のみなさん&ビッカフェ!


そんなこんなで、やってます。ゆるゆる英語サロン@ビッカフェ。お代 500円+ドリンク実費で(定員 5名まで)どなたでもお気軽に銅像。次回の予定はビッカフェTwitter などで!




2017年7月6日木曜日

はなうたが聞こえてきそうな

はなうたが聞こえてきそうではないですか、これ。……あんまりヌードが続くのもどうかと思い、迷ったんですが左側(↓)寝転がってるデッサンの雰囲気が好きで、つい投稿。たまたま位置もここしか残っていなかったのが、よかったのか?


絵の出来/不出来でなくて、“感じ” としか言いようがないけど。ね、描きにくいアングルだし、造形としてはどうにも変な。でもまぁ、やはりポーズなのかな、なんか美術っぽくなくてカジュアルな。ちょっと笑っちゃうような。キュートさ。

まぁヌードそのものがキュートなんだけど、もともと(“素” といえば、これほど “素” なものもなく)。正直あんまり私「エロス」とか考えたことなくて、毎回、描いててノルのは断然そのキュートさ。それを絵にしたいと思うわけで。動物や鳥や魚や昆虫や、子供のキュートさも似てる気がするよ基本。それと「美」が共存するのが芸術って、おもしろいですな。

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地元の大垣市スイトピアセンターで毎年、行われている「デッサン講座」6回シリーズの前半が終了。今年は午後バタバタすることが多いため、午前の部に参加中でござる。



2017年6月16日金曜日

絵と映像と音と

YouTubeに先日公開した「BEGINNER'S LUCK Remix」、慣れない映像モノとはいえ一応これも作品ですから、その解説をば少し。


まずは経緯から


通常は超低解像度(ULR)など独自手法で絵画制作している清水温度が、一方でトレーニングがてら2012年から描いてきた普通の絵(裸婦25点)をまとめ、希望者への頒布用に「BEGINNER'S LUCK」という冊子にしたのが去年の10月

で、その冊子を見ていて思いつき、早速 Remix作業開始したのが翌11月だったかな。本当に何が何のきっかけになるか分からないもので。多くの複製物あればこその実験開始。断続的に今年(2017年)の春までやり、Remix絵画も25点が出揃いました

で、元々の「BEGINNER'S LUCK」同様、Remix絵画のほうも印刷用にとりあえずスキャンして、そのデータをPhotoshopでさわっているときに今度「むしろ、この見え方をそのままコンテンツに出来ないか」と映像化を思いついたのが先月の半ば。……で、すったもんだしながら 1ヶ月が経ち、どうにか完成。そんな次第。


次に映像制作について


映像は普段まったく触らないんですが、やりたいことは単純(Photoshopでさわっていたときの状態の再現)だったので、まぁ、むかし買った Final Cut Expressの、マニュアルを飛ばし読みしながら必要な手順をメモ。

720pハイビジョンにセットアップして、画像反転(「エフェクト」ビデオフィルタ/変形/反転)と、合成(「修正」合成モード/差の絶対値)と、各種ワイプの挿入、以上。なんつって今だからサラッと書いてますが、慣れないソフトだけに、これだけ探し出すだけでも途中、何度コンピュータぶち壊しかけたことか。

ちなみに今回、映像をすべてシンメトリー(左右対称)にしたのは、逆に、そうしないことにも意味を特に見出せなかったから……という程度の理由です。あれこれ考えずに済んでラクだし、単純に美しいし。シンメトリーが女性器を連想させるなど深読みもべつに結構ですが私、個人的にはそういうベタな「エロ」むしろ苦手で。もっとキュートな解釈がいいな、どうせなら。

Photoshopの場合:左右反転したレイヤーを「差の絶対値」で合成
あの、Penny スケボーですから(↑)真ん中のへんなやつ。


宇宙テイスト等……映像&音&全体について


なんかシャレっ気が足りないと思い制作終盤で、最初黒だった背景を宇宙(夜空)に変更。全部の絵柄をつなぎ終えたときには尺が 8分弱で、アカン、とても無音じゃもたない。ということで、音をネット上のフリー素材などから選びかけるが、ないんだなこれが、いいの。クラシック音楽は私、知らなさすぎるし。

そのとき、たまたま聴いていたCDの影響もあり、じゃあ作るかと、なにか宇宙っぽいもの。手持ちの機材の(↓)まずは四角いボタンが並んでるやつ、Novation Circuitで曲をざっと作り、それを真ん中の黒い小さいMTR(TASCAM DP-006)で録って、エレキ・ギターを重ねるという……これ、ごく小規模ながら自分的にはお気に入りの “粗っぽさ” が死なない(最後の編集段階 GarageBandまでいわゆるコンピュータとは無縁な)編成、役立ちました。

応援はピカルミン 卍

映像を見ながら、それに合わせて音楽を作ったのも初めてで。つくづく絵を描くのに似てました。主張しすぎてもダメとか、組み合わせの化学変化とか。以下、長いので略。元々の冊子あとがき「下手をおそれぬ Beginner's Luck」に準じて今回は、めっちゃくちゃなギターが何音か外しているのもご愛嬌ということで。きちんと弾くよりも大事なものがあるのだ!

で、最後の最後に、ちょろっと重ねた英語ナレーションがたまたまUFOネタだったこともあり映画「未知との遭遇」から、シンメトリーにした絵柄を冒頭と途中に挿入して、打ち止め。おしまい。あるコンセプトと構造をもった情報のかたまり(=作品)にどうにか、なったと思う。反省点としては、ちょっとマジメっぽすぎるけど今回。


宇宙/夜空に交差する、具象なんだか抽象なんだか、キュートな Brush Strokes(ハダカの断片たち)が、あなたを感覚的な「未知との遭遇」に導いてくれますように。……なんつって、書いてて恥ずかしいけど、こういうの。でも、そういうことです一応。サンキュー。


2017年5月31日水曜日

失敗したと思う。裸婦26th

今年、特定モデルを長時間かけて数人で描くという会にお誘いいただき、2月から毎月2回、名古屋のクロッキーF美術館へ通って5月までの計8日間、トータル約1800分やってきました。時間がたっぷりあるからと私、P50号キャンバスを持って参加。

ステンシルなど特殊なやり方では数年前から大きい作品もつくってますが、普通に油絵でこのサイズ描くのは、じつに高校の部活動以来。これまで裸婦といったら10号か12号で、バサッとやって「Beginner's Luck」なんて嘯いてましたが、今回はもっと大きく精密にいくぞ!と決意も新たに。Edward Hopper みたいなの描きたい、とかね。

モデルもよく、位置もわるくない、時間もたっぷりある。傑作が出来るはずだったんですが、あ、実力が足りてなかった。アカンわ、まだまだ。普段から練習してないし。最終日のあとスタジオでも手を加えたものの、劇的な改善はもう(モチーフ見られないし)ないな、と打ち止め。頭かかえまくり。




きちんと反省すると、現場の部屋の広さからいって50号はちょっと大きすぎたと思う、正直。あとでスタジオで直してるとき痛感したけど、描いている距離で見るのと、ずっと離れて見るのとでは、大きな絵の場合やはり、驚くほど違う。十分な「引き」がとれない場所で不用意に大きのは、かたちをとる上でも、色を置いていく上でも、無謀。

それと今後の課題としては、まず何より油絵具に慣れること。そして、何が描きたいか(いやモチーフの話もさることながら抽象と具象のあいだの、どんな状態に絵を着地させたいか、そこに現したい感覚は何なのか)もっと自分のなかで明確に。それに従って塗り方もそれこそ「Beginner's Luck」や「なんとなく」でなく、より明確になるはず。要するにスタイルってことですな、自分の絵の。

最後になりましたが、主催してくれた森さんの、デッサンやグリザイユ技法、持ってきてくれた Peter Doig などの画集、雑談などなど、とても刺激になりました。もちろん、モデルのまさえさんにも、他の熱心なメンバーたちにも、感謝!

2017年5月25日木曜日

TIKI POP

The Rise and Fall of Ziggy Stardust ... は David Bowie ですが、いかにして「TiKi」はアメリカの夢となり、そして廃れていったか。2014年にフランス Musee du BRANLY であった展覧会の図録になるのかこの本『TIKI POP』を、読み終えたのは去年のたしか 6月だったかと思いますが、前回の「M*A*S*H」記事などもあり、やっとこさ思い立ってブログ化。

Armchair Traveling(リヴィングに座ったままでの世界旅行)だとか Air-Conditioned Eden(空調されたエデン)だとか、事象をなかば、みずから揶揄しながらも楽しむこの感覚、ユーモア。やっぱりそれが基本だと思う。1950〜60年代のアメリカで流行した大衆文化「Tiki」、Polynesian Pop とも呼ばれる南洋趣味について、何はともあれ、ノートにあった抜き書きを中心に。


戦 争

Hardy farm boys and studied city men alike dealt with the hardships of war the American way, lightning their load with humor and imagination. If there were no dusky maidens waiting for them, one could still dream about them.(p.128) 
駆り出された無骨な農民たちも都会のインテリたちも同じように、戦争の大変さに “アメリカ式に” 対処した。つまり重荷をユーモアと想像力によって減らすこと。南洋の戦地に、褐色の美女は待っていてくれなかったとしても、それを夢見ることはできた。
右ページの下で死んでいるのは日本兵


アート

In the early 1900s, the modern avant-garde had discovered original tribal-art pieces as a revelation that helped them to deconstruct figurative art.(p.224) 
1900年代の初期に近代アヴァンギャルド(ピカソなどの芸術家たち)は、独自な部族的アートを、それまでの造形芸術をディコンストラクトする啓示として、発見していた。
In the mid-1950s(p.179)/ At the time of Tiki's arrival, a number of archetypes of South Sea escapism had been successfully established in the Western world's mind.(p.180) 
1950年代中盤、Tiki が到来したとき、南洋でのヴァカンス趣味など多くの原型はすでに西側世界に出来上がっていた。
Young sculptors fresh from art school felt free to realize their individual interpretations of "primitive art." (p.184)/ Far removed from the source of inspiration, the island, their creativity was free to develop. A new art form was taking place.(p.182) 
アートスクールを出たばかりの若い彫刻家たちは自由に、かれらの「原始美術」解釈をかたちにした。インスピレーションの源となった島々から遠く離れて、かれらの創造は進展した。新しいアート形態が出現しつつあった。

それ、ちょっと安直すぎないか? 補足すると要するに、商売になったということ。南洋趣味のバーやレストランがあちこちに建てられ、それ用に調度品や食器やメニュ、アトラクションなど多くの需要が発生して。まさに流行、大衆文化、ムーヴメント。それはそれで幸せなことではあるけれど、「Tiki Pop came and went virtually ignored by the art world.(p.185)Tiki Pop が来て、そして去る、実質アート業界からは無視されたまま。」

While precise, slick mid-century modern style was the mode of the period, a few artists tried their hand at the other end of the spectrum, going back to the rough, naive beginnings of art.(p.186) 
高級な、すべすべした「ミッド・センチュリー」モダン様式がその時代のモードだった一方で、ごく少数のアーティストたちは逆方向へと手を染めていた、すなわち、アートの始まりの頃の粗っぽさ、ナイーヴさへと。

ハワイ

Hawaii was a peaceful melting pot of several races, and, such as, was held up as an example of the "Family of Man" concept.(p.215)/ It was the United Nation of Polynesia!(p.217) 
ハワイはいくつかの人種の平和な “るつぼ” だとか、そういったものが「人類みな家族」コンセプトの例として祭り上げられた。それはさながら、ポリネシア連合国だった!

一昨年の当ブログから補足がてらコピペすると……「戦後のアメリカでは中産階級新たに就航したハワイ空路は、アメリカ中が『トロピカルな』ものごとに興味をもつことに拍車をかけた。(中略)1959年にハワイが合衆国50番目の州となったことは、さらにトロピカルな生活様式の人気をもたらし、アメリカ人たちはロマンティックな異国文化と恋に落ちた」そうで。



衰 退

This shunning of preconceived notions of "good taste" appealed to self-made pop-culture style-makers like Elvis Presley and Hugh Hefner.(p.324) 
ありふれた「趣味のよさ」を避けられるこの方法は、エルヴィス・プレスリーや「PLAYBOY」発刊者のヒュー・ヘフナーのような自前のポップ・カルチャー様式の作り手たちにアピールした。

しかし、時はたち、誰もが年をとり、昨日のカッコイイの多くは(それが流行れば流行るほど)今日のダサイに変化する。もう 4年前になるのかこれも当ブログからコピペすると、例えば、「ヒップは流動的で実体をもたず、スクエアが把握するのと同じスピードですばやく変化する。身振りを考案した観念ではなく身振りだけを追い求めると、手にするのは空気だけである」そうで。

While there were still many who frequented in Polynesian restaurants and participated in backyard luaus, they were mostly people who were labeled as "the establishment" : middle aged, well-off, conservative whites, out of touch with America's changing ideals.(p.345) 
まだまだポリネシアン・レストランによく行ったり、裏庭でのルアウ・パーティに参加する人たちは多かったものの、かれらは「エスタブリッシュメント」つまり中年の、裕福な、保守的な白人たちで、アメリカの移り変わる理想とは無縁の人たち、とされた。 


以上、ワープロ打ち、おしまい。The Rise and Fall of ... Tiki、というかポップ・カルチャー何であれそうだと思うけど。流行って廃って、経済と文化と社会、そんなワケでいろいろ教師と反面教師と。大きくて重たい本ながらご覧のとおり絵や写真がいっぱいで、楽しかったです。


2017年5月8日月曜日

R. アルトマン監督「M*A*S*H」

アメリカ式「プロの流儀!」と今回なぜか、深く感動してしまい。これ、コメディじゃなかったっけ? ロバート・アルトマン監督の映画「M*A*S*H」DVDをこのあいだGW中に、ふと観直していて。以下、うろ覚えで書いてるので(↓)しれてますが一応、ネタバレあり。

真ん中の女性のアソコが金髪かどうかも戦場では重要

上のほうが始めた(たいがい何でも始めるのは「上のほう」でありまして)この戦争、朝鮮戦線だったかな、の現場に外科医として駆り出されて負傷者の治療に当たる。急ごしらえのテントで、あり合わせの物資でもって看護婦たちと次々、手術しては処置して。タフな現場。そこでの使命は、とにかく、死なさないこと。

ひとりでも多く、死なさないために全力を尽くす。24時間ひっきりなしに運び込まれてくる負傷者に対応するためには、勤務時間外に、マティーニ飲んでゴルフやエロ話するのも仕事のうち? いやエロ話だけでなく実際みんなあちこちでヤったりも。もちろん、それが深い休息をもたらし、英気を養ってくれるなら哲学書を読んだっていいワケだけど、現場のバタバタを考えると最適なものは何か。個人差はあれど。修羅場で、規則に優先するものは何か?

ジョーク言いながらの真剣な手術

敬虔で真面目で、しかし本当はみんなと同じようにスケベ=普通で、そのアンビバレンツもあってか負傷者を死なせまくっているある医師は、主人公らのイタズラによって(ここの展開がじつに可笑しい)スキャンダルを口実に母国へ返される。これは現場のみならずその医師本人にとっても、いいことだと思う。環境が違えば活躍できる場もあるはず。まさに、粋なはからい

そういえば、太平洋戦争時の日本軍とアメリカ軍のこと、私もたまたま(昨年は「TIKI」関係など)いろんなもので読んだりしますが、例えば現場で “歯をくいしばる” 日本(軍)にそもそも勝ち目はあったのか? ただでさえタフな状況下、肩に力が入りまくってなどいて、絶望的な「特攻」以外にいったい何が出来る? その「真面目さ」は本当に任務(使命)遂行のためになるのか? ちょっと無責任なこと言ってしまうと、こういうこと、いまだに会社等にもありませんか?

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映画終盤では、近隣キャンプだったかな、と突然アメフトの試合するシーン。そう、上のほうが始めた、これもまさにゲームであり。戦争と同じように、いろんな駆け引きと戦略でもって、不確実性のなか刻々と現場対応しながら、勝利を目指していく。諦めず、慢心もせず、最後まで分からない勝負。

なんて書くと少々頭デッカチすぎ……要するに遊んでるんですが、結局、戦争中にも、かれら。やるなぁヤンキー。アメフトでも規則スレスレ。そう、いろいろあるけど人間とにかく、楽しむために生きるのだアハハ……と、やってしまうと今度はしかし、頭ちっちゃすぎる気もするなぁ。

戦場での、たしかプラトニックだったかな、愛人との最後の夜、その彼女になんとインポの同僚の実践治療をたのむという、ストーリー的にいえば “超” 男気、映画的にいえば大ジョークは、ベタな快楽主義「楽しむために生きるのだ」なんかより100倍、痛快でおもしろい。それでこそ映画、それでこそ文化!


そんなこんなで、主人公役のドナルド・サザーランドの、まー、カッコイイこと。上の画像は(↑)映画のプロモーション用だと思うけど、エレガントでございますな、何はともあれ。

タフさとハチャメチャさ、真剣さとお気楽さの(上の画像でいうと左が、パンクスでなくてさ、主人公の外科医で、右がヒッピーでなくてさ、ボストンだったかな、の心臓外科の名医という設定)じつに大きな振り幅。この振り幅が素晴らしいんですな。以前はただのキツめのコメディって印象だったのに、今回すっかり感動。タフな「戦場」での、プロフェッショナルの流儀。


2017年4月12日水曜日

大森荘蔵『流れとよどみ』

今日みたいな日に聴いていると、つくづく名盤だと思う……云々と(注)あるCDについて今朝 Tweetしたばかりですが、この「今日みたいな日に聴いていると」が実際じつは、そうなのだと。モノそのものが(今日は)異なるのだと。この考え方、というか事実か、すごくない?

お花見客のまえでセッションする気になったのも、今日みたいな日ならでは。

昨日たまたま大森荘蔵『流れとよどみ --- 哲学断章 --- 』をひさびさに手にとり、続きを読んでいて私、あらためて、絵描きとして本当に教えられるところ多く。

世界は常時かならず、あれこれの感情的な色彩をもって立ち現れている。(中略)そのニュアンスやトーンは赤や青の色彩の場合と同様に、極めて微妙に揺れ動き複雑な陰影をもっている。そして本来の色彩が眼やその他の私の肉体的状態如何につれて揺動するように、感情的色彩は私のその時々に置かれた状況や事件によって揺動し、時には急転回する。しかし 
本来の色彩が外部世界の色彩であるのと全く同様に、感情的色彩もまた外部世界の彩色であり相貌なのである。 
(「心身問題、その一答案」p.231 -232)

最後の一文(↑)特に強調するため改行しましたが、もうこの引用だけで十分なくらい。「物理的客観的世界と主観的意識世界という二元論的構図を棄て」ること(p.205)つまり、あなたの/私の、何であれ、いまの “それ/これ” は、心の中の話などでは全然なく、世界が実際そうなのだと。とても明晰に語られていて。

たしかに、と思う一方で、この「心身問題、その一答案」が発表された1979年と、現在の情報環境の違いを考えてみて、ちょっと背筋が寒くなったりもしながら。


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例えば「その過去の何ごとかは現在の風物と同じ時間と同じ空間の中、一つの四次元世界の中に立ち現われる」(p.228 -229)……この「四次元」は決してマンガ的な比喩などでなく、物理学出身の大森荘蔵らしく、文字通りの四次元。ええ、大賛成。この世界を次元という論理でスライスしたら、いま私が生きている “ここ” は、まさしく四次元。

この四次元世界が、物理的色彩のみならず感情的色彩も含め、実際にそう「立ち現われて」いるのだと。例えば「結局のところ、恐怖の感情と呼ばれているものは、『恐ろしい世界の立ち現われ』なのである」(p.231)。日が翳って葉の色が実際に(それでも緑色で塗りたがる皆さん多いわけですが)変わっていくのと同様、世界の物理的・感情的色彩も刻々と変化する。

アッと、いま自分でこの最後の一文(↑)書いて、思う。ダメじゃん。世界に「本来の、客観的・中立的な」色彩というものがあるワケじゃないのに、つい。そんな言葉づかい。習慣の怖さ。この刻々の変化そのもの(流れとよどみ?)が即ち世界なのに。

葉をつい緑色でみんなに塗らせてしまうのも、そんな習慣というか悪しき紋切り型? 観念。言葉による、デジタルな。世界がどう変化しようと、いわば変わらない(アナログのように色あせたりしない)記号。便利でもある一方で、まさにデジタル技術の進展により、この観念/言葉/記号にますます取り巻かれている私たち。変わるものと、変わらないもの。「心身問題、その一答案」から、もうすぐ40年。


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大森荘蔵のいうような世界をおそらく、描く(描ける、描いてしまう)のが昔からアーティストであったと同時に、いま、情報過剰社会のなかで世界はそこかしこで実際に、刻々とひどい立ち現われ方をして、事実、ひどいことになっているとしたら。

昔(1992、3年頃)えらい苦労して読んだドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』もそういえば、即ち世界であるところの、この流れの分析、モノや感情や貨幣の流れる四次元の話だったと記憶しています。神経症や精神分裂病や、いわゆるエディプス・コンプレックスも、それは患者の/あなたの「心の中」の話などでは全然ないのだと。そして、解放へのヴィジョンと。

そう、結局はマンガ的な紋切り型つまり観念的なペシミズムやヒロイズムが、渦巻くばかりの二元論をいまこそぶち壊して、……なんつって書きだして私もう無理、やめた。これ以上はもっと本当にやっている人たちじゃないと。いまの情報過剰社会における、訓詁学などではない哲学、例えば千葉雅也『動きすぎてはいけない』。ぜひお願いします、ラジカルでアクチュアルなやつを、もっと。

とにかく、いち絵描きとしては、先の引用「感情的色彩もまた外部世界の彩色であり相貌 なのである」をまずは、是と!
(おわり)


【注】
桜咲く4月の晴れた朝、仕事場へ来るクルマの中でひさびさに、本当にもう何年ぶりだろう? 聴いていて思わず Tweet。以下 (↓)全文。

今日みたいな日に聴いてると、つくづく名盤だと思う Shi-Shonen「(Lovely)Singing Circuit」...デジタル技術がクールだった頃。