2017年3月15日水曜日

Novation Circuit けんきゅう

絵描きとしても、ていねいにやりすぎないというのが課題です。人間どうしても、とくに日本人(私自身も)マジメですから、つい、やりたくなるところをグッとこらえて。ていねいに、やらないように、がんばる。丹精をつまりは、込めない。……ってホントこれ、修行にちかい。

コンピュータはたいがい全部、ビジュアルに見せてくれますから、ついつい細かいところへ(も)目がいってしまう。よくない。自分の性格もあるんだろうけど。気にしてないじゃん普段、暮らしてるとき、そんなの……っていうところまで。細かすぎ、よくない。代わりに何かが死ぬ。

なので、そのための、私、絵画の場合は「超低解像度」であり、音楽の場合「脱・打ち込み」であり。自分のマジメさが、ものづくりの足を引っ張らないようにするための、いわば苦肉の策? ほとほと難儀なもんで。Novation Circuit に飛びついたのも、そんな気分からでした。


156(イチコロ)記念撮影

アナログ・ペインティングの筆ストロークや、スケートボードや、ギターで好き勝手にアドリブ弾くときのようなラフさ、ちょうだい。と注文し、届いたのが先月末。「数秒でアイデアを創出、数分で一曲に」と、まさにそれくらいの使い勝手。OK、見事な設計=割り切り方。しかし裏を返せば、そこそこのものが誰でも簡単に出来てしまうということでありまして。これも正直、おもしろくない。でしょ?

しばらく本体だけで遊んでいたんですが、ふと昨夜から今日にかけて、ついに本体自体のカスタマイズを試みて(Google Chromeから「Novation Circuit Components」にアクセスし、自分用の音源整備などしてみて)さらに感動したので、いま書いてます。

長いよ、前置きが。やっと本文(↓)



世にいう「グルーヴ・ボックス」だそうで、Circuitの場合はドラムと 2系統のシンセサイザーでもってフレーズ(=グルーヴ)を自由に作り、多様に回すことが出来る。で、その元ネタそのものから替えてしまうこと……というカスタマイズに必要な、まず概念としては下の(↓)3つプラスそれがセットになった Pack ということ、だと思う、要するに。

  • Session:曲(というか譜面=スケッチ)のこと
  • Samples:ドラム音源(サンプリング音源)のこと
  • Patches:内蔵シンセの音色設定(つまみ設定)のこと

内蔵シンセの音色については本体でもかなり加工できますが、使い勝手が見事に重視された設計なだけに、Novationシンセのさらにエグい音作りを楽しむには本体の 8つのノブではとても足りない。そこで、ユーザーらによる専用エディターの開発があり、さらに、ユニークなシンセPatch集の提供があり……と勉強がてらに早速 1つ買ってみました。じつに興味深いこういう動き、前者が 1ポンド、後者が 8.99ポンドで、とっても便利。

ただ、上の(↑)シンセPatch集は、通常の「Novation Circuit Components」からでなく、同じく上の(↑)専用エディターのほうに読み込んで、そこから Circuit本体の Patchを書き換えるかたち。ちょい面倒。でも、いったん本体側が書き換わってしまえば、あとは Novation Circuit Components にそのバックアップをとったり、そこからさらに自分なりの Sample集や Patch集を編集することが可能。そんなふうにして、どうにか、のろし派の私でも無事にカスタマイズ(第一弾)出来ました。何だよ、のろし派って?

とにかく。楽器がよくなっても生まれる音楽がよくなるとは限らないんだけどさ、何はともあれ、ありがたい時代。

さあ、お気に入りの絵具=元素材(Sample、Patchそれぞれ64種に、Session)をぶち込んで《← ここまでがカスタマイズの話》、あとは曲づくりにセッションにライヴにと《← ここはCircuit本来のよくできた使い勝手の話》それいけ大暴れ! ってか。


詳しくはコチラ http://www.h-resolution.com/novation/circuit_components.php



2017年2月21日火曜日

はなうたとローレンツ

いろんな事情や手が加わるまえの第一稿を、とりあえず自分の責任でこちらにアーカイブ。行政に働き掛けるという意識的な目的をもって書いたものではありますが、それ以上にやはり第一稿って最初の衝動というか、気分が色濃く出ていると思うだけに。書くことになったのも、それこそ諸々「話の流れ上」だし。Go! Go!


こどもはなうたコンテストについて

昭和技研(株)おもひでやの外部スタッフとして、当初から企画に携わっていて思うのは「人間の創造性って何だろう?」ということ。私自身もアーティストとして、構築的な “かたち” と、一回的な “流れ” のことが昔から気になっていました。

何かをていねいに積み重ね、構築していくことと、もう一方で、たまたま「その場のノリで」思いもしなかったようなアイデアや、ものごとが、ほとばしり出ること。前者は計画や成長といった概念とおそらく相性がよく、後者は逆にそれらとは、あまり馴染まない。何がいつ出てくるか予測がつかないだけに。

計画や成長ということと相性のわるい、たまたまその場の一回的なノリ、“流れ” の可能性は、したがって、これまで教育や生産の現場において、あまり取り上げられてきませんでした。扱いようがなかったとも言えますが。しかし、世の中が工業時代から情報時代へ進むにつれて、何かをきちんと標準的に作り上げることと同じくらい、あるいはそれ以上に、その場や人なりに「ユニー ク(唯一)な」何かが、だんだん求められるようになりました。人をふわっと “その気” にさせる、いわば生理的気分【注】のようなものの表現が、広告のみならず製品それ自体にも。

【注】
動物行動学の古典、K. ローレンツ『ソロモンの指輪』(ハヤカワ文庫)から少し引用すると(↓)
動物は音声を発したり表現運動をしたりするときに、それで仲間になにか影響を与えようという意識的な “目的” などはまったくもっていない(p134)/けれども、自分の生理的気分をしめすにすぎないこのまったく無目的 の表現は、おそろしく伝染性をもっている(p121)/無意識的な感情と情熱を伝える神秘的な発信・受信の器官は、長い歴史の産物である。それは人類とはくらべものにならないほど古い。人間ではこれらの器官が、明らかにことばによる言語の発達にともなって退化してしまった。(p135)

今また、あらためて、人間も「環境」の産物ということに他ならない、のだと思います。こどもは特に、大人よりもまだ自然に近い存在なだけに、この動物的感覚というのか、生理的気分のようなものが、押し殺されることなく、表現につながりやすい。

であればこそ今、こどもたちの「はなうた」に、私たち大人が耳を傾けてみる理由が十分にあると思われます。カワイイ以上の何かをそこから、逆に私たち大人が、学ぶために。あるいは、こどもたちの「はなうた」が伝染させる気分と一緒に、私たち大人も(例えば高齢者など)踊ってみるために。あるいは、そんな「はなうた」が出るような環境をこれから意識的に守り、育んでいくために。

従来の常識とおそらく、大きく異なる部分もあるので試行錯誤は続きますが、おかげさまで、こどもはなうたコンテスト、これまで(2012年のスタート以来)5回を重ねてきて多少の知見やノウハウの蓄積もできました。今後さらに地域の教育関係者など、さまざまな方々と意見交換しな がら岐阜発の、先進的でユニークな活動に育てていけたら光栄です。
よろしくお願いいたします。


昭和技研(株)おもひでや 外部スタッフ 清水温度


以上。基本的に「おもひでや」云々は受託仕事で私、いつも黒子なんですが、文の内容からいっても今回、第三者的な書き方では伝わらないと思い、しゃしゃり出てしまいました(↑ きのう書いた第一稿では)。失礼しました。何はともあれ 6年目の新展開に向け、Go! Go!

昨年の「うちのこのどじまん」CDは紙ジャケ

【リンク】
・こどもはなうたコンテスト・ホームページ http://omoide.main.jp/hanauta/
・K. ローレンツ『ソロモンの指輪』 http://mozaikolab.blogspot.jp/2014/05/blog-post.html


2017年1月31日火曜日

三越(名古屋・栄)ULR 展

1月18日(水)〜 1月24日(火)に名古屋・栄の三越 6F リビングステーションで行われた「ULR 超低解像度絵画 展」の記録です。

ちょうど LACHIC(ラシック)5F との渡り廊下を出た、すぐのところ。わりと大きなスペースをまだ作品数が少ないため若干、持て余し気味? 今回はペイント(アクリル&油彩)とタイルによる試作中心でしたが、もう少し準備時間があればシルクスクリーンやジクレーなど版画や、大判出力物なんかも展示販売したかったな。




絵を取り扱っていただいている Gallery 水無月さんからお話いただき、現場では三越画廊の皆さんにも大変お世話になりながら。急な事情あってのことだとは思いますが何はともあれ、こんな場所で個展ができる機会って、ちょっとアータ、ありがたいかぎり。

期間中にお聞きした率直な画廊話いろいろや、今後に向けて取り組みたいことなどなど、私にとっても興味津々でした。産業=ものづくり地域ですし、中京圏。すごいものが出来ますように。私も精進いたします。これをご縁にまた、よろしくお願いいたします。


2017年1月27日金曜日

『新潮』2015年4月号の特別鼎談メモ

こないだ図書館で借りてきた雑誌『新潮』2015年4月号。なかの特別鼎談(浅田彰+中沢新一+東浩紀「現代思想の使命」)が読みたくて借りたんですが、タイトルはともかくとして中身さすがに刺激とヒント満載だったのでメモ。とりあえず括り4つ、以下(↓)全部引用。



AA:
総じて、再分配+承認だ、と。しかし、マイノリティをアゴラに入れてやるという程度の承認ではダメだったんですよ。そもそも、オイコス(オイコノミア)とアゴラ−ポリス(ポリティア)の分配に基づいて、経済的には再分配、社会的・政治的には多文化主義的承認で問題を処理するという弥縫策ではなく、構造全体の組み替え考えるべきだったんです −−− というところでマルクスの問題設定に戻るんだけれど……。(p100)

NS:
いま、僕らが欠いているのは、グローバル資本がどのようにして形成され、世界を支配し、解体していくかというのを考える知性です。「自然史過程」としてのグローバル資本主義という問題をとらえる努力を怠っていて、ピケティのように資本主義の内部情報の処理だけでやっていく、近代主義的とも言える知性形態がもてはやされる。そのため、東さんが悩んでいる思考の無力化という現象も起こっているのだと思います。(p103)



AA:(↓ p104 - 105)

現在の「承認」は、マジョリティに加えてやる、アゴラに入れて発言権を認めてやるというニュアンスです。それに対し、ドゥルーズは、マイノリティというのはたんに量的な少数派ではない(女性の人口の方が多くても女性はマイノリティである)、モデルをもたないのがマイノリティである、と言っている。それは正しいと思います。女性が男性モデルに従って戦士や企業戦士として頑張るだけなら、女性のマイノリティとしての力能が解放されたことにはまったくならない。

いまヘイト・スピーチ規制の対象とされるものはマジョリティのマイノリティに対する(たとえば日本人の在日朝鮮人に対する)ヘイト・スピーチでしょう。しかし、マジョリティとマイノリティの関係というのはいくらでも揺らぐわけじゃないですか。僕はマイノリティはマジョリティをヘイト・スピーチで攻撃する権利があると思う。

フーコーが早すぎた晩年の講義で言っているように、顰蹙を買うのを承知で語られる言葉こそが社会を変える力を持つ。そこにはヘイト・スピーチとみなされるものも含まれるでしょう。それを規制してしまったら、アゴラでの「他者に優しい」言説、生徒会での優等生の言説のような無内容なものしか残らない。

マジョリティが安全地帯からマイノリティを一方的にバカにするような風刺は「笑えない洒落」として無視する、そのようにヘイト・スピーチは社会が軽視(さらには無視)するべきものであって国家が法で取り締まるべきものではないという原則を守るべきだと思います。



AH:
本来は自然人は相互に無関心なはず、つまりニヒリストなはずなのに、無関心でなくなってしまうから社会をつくってしまう。それこそルソーが直感的に言っていたことであり、僕はこれはロックやホッブスよりもはるかに深い人間に関する洞察だと思う。ロックやホッブスは結局は、個別の利害に閉じこもった人間が、自分の権利を守るためには権利の一部を譲り渡したほうがいい、だから社会を作った(中略)という話しかしていない。ところがルソーは、そもそも人間は社会など作る必要がないのに心を動かされてしまうからこそ社会を作ってしまう(中略)と議論している。(p110 - 111)

NS:
言語というのは言語として生成されるのではなくて、まずは「音楽」で作られる(中略)。「音楽」というものは、メロディとリズムの中で人間を唯物論化、物体化するんですよね。その時に動いているのはニューロンだけで、そのニューロンが共振している。ニューロンの共振から音楽が発生し、そして言語が発生するのがルソーの考え方です。(p111)

AA:
たしかにルソーの場合は、まさにそういう共鳴があるから、ばらばらに住んでいたはずの人々が社会を作り、村祭りをするわけですね。村祭りで輪になって歌い踊るような場面では、視線の交錯の中で、全員が役者になると同時に観客になり、ポリフォニックな交響が実現される、と。それは小さなスケールではうまくいくかもしれないけれど、フランス革命期のブレの幻想建築図などをみると一万人規模の人々が円形の大会堂に会するようなヴィジョンになっており、(中略)そこでは観客が互いを眺めるといっても、結局はモノフォニックな熱い盛り上がりしかありえないわけですよ。ルソーはつねに一定の人数の社会を考えていたので、全体主義による誤用をルソーの責任に帰すのは誤りだけれど……。(p111)



AA:
IT版の空想的社会主義ないしアナーキズム(ローレンス・レッシングの言う「コモンズ」なども含めて)と、多文化主義的なコンセンサスという20世紀の理想が一巡して限界に突き当たり、それだけでは21世紀はやっていけないことが明確になる一方、(知的)所有権の(再)強化と巨大資本への集中、そのようなグローバル資本主義とその敵(たとえばテロリスト)との有無を言わさぬ戦いが前面に出てきているというのは、東さんの言う通りでしょう。ただ、短期的に、ITに希望を抱きすぎた結果、あまりに早く幻滅しているということもあるのではないか(p115 - 116)




以上、メモおしまい。

2017年1月11日水曜日

ピクサー 〜 早すぎた天才たちの大逆転劇

もうすぐ20年になるのか、1997年に勝手に「人生、終わった」と岐阜に Uターンしてきてから逆にむしろ、ソフトピアジャパンや DAJA(デジタル・アーカイブ・アライアンス)や IAMAS(国際情報芸術科学アカデミー:当時)にところどころ反感もちながらも大変お世話になり、おかげさまで現在がある。

年末年始に今年は、デイヴィッド・A・プライス『ピクサー 〜 早すぎた天才たちの大逆転劇』を読んでいて、そんな個人史、いろんな人の顔がしょっちゅう頭を横切りました。べつに過去形じゃないけどさ。天才でもないし。何はともあれ自分の考えや動き方もはっきりしてきた昨今、たくさんの反省を踏まえつつ!


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「1974年に発表した博士論文の三つの業績 −− Bスプライン、Zバッファ、テクスチャ・マッピング −− によって、たとえそれ以外の功績を何も残さなかったとしても、CG分野で不朽の名声を博していただろう」(p35)エド・キャットムル、そして2006年ついに「22年前に自分を解雇した(ディズニー)スタジオの救世主として歓迎された」(p417)ジョン・ラセターらによる、チーム「Pixer」のコレ、それこそ、ディズニー映画じゃないけど「ディズニーの失った魂を、新しい媒体の力を借りてよみがえらせた」(訳者あとがき p440 より)いわば冒険譚。経営的な内容にも興味津々なれど、この読書メモはとりあえず主にコンテンツの作り手サイドから。

そういえば IAMAS時代の2000年秋に 1ヶ月間、行かせてもらった USC(南カリフォルニア大学)の講義もとても印象深かったんですが、そこに来ていた先生が案内してくれた CalArts(カリフォルニア芸術大学 p83)の創設者がなんとウォルト・ディズニー。今回それを初めて知って、それこそいろんな人の顔を思い出しながら、ちょっと感慨深く。で、とにかく先を急ぐと、しかし長い間「ウォルト・ディズニー・カンパニーはCGに関心を示さなかった」(p56)と。なぜなら当時、

キャラクター・アニメーションではニュアンスのそのまた上にニュアンスが必要なことを、ディズニーのアニメーターは経験上知っているが、それはあまりにも微妙なため、コンピュータではとらえ切れないのだ(p103) / 鉛筆を取ってアクションを描いた方がどんなに簡単か(p104)

たしかに。一方でしかし、私もコレ高校時代にワクワクしながら観にいった特撮映画ですが『トロン』の、製作中のCG映像をディズニー構内のトレーラーハウスで見せられたときにラセター、

まるで雷に打たれたようにひらめいた。(中略)この技術をディズニーのアニメーションと融合できれば、革命を起こせる。(中略)「ウォルトが待っていたのは、まさにこれだぜ」(p92)

と。正直、いわゆるアニメに私ほとんど興味なかったんですが USCで見た、音楽に合わせて常に 4ビートで揺れているゴムまりのような昔のディズニー・アニメーションは楽しかった、ノれました。芸術だと思った。それを全部手作業で実現する職人的な作画能力はリスペクトしつつも、しかしさらに、本書にあるような p223「関節変数(AVARS)」や p225「メンヴ(Menv)」プログラム、p368「キャラクターの解剖学的構造」なんかを駆使して、自動計算できる部分はコンピュータに任せられたら(例えば物理シミュレーションまで含んだコマの補完)実際、どれだけ美しいかと私も思います。餅は餅屋。空間/立体(3D)を平面(2D)にできるだけ正確に投影するのが即ち「デッサン」なのであってみれば。


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で、絵画とデッサンが違うように、人間の創造性が本当に生きる部分と、コンピュータの計算能力が本当に生きる部分は違う。ところが人間、趣味が高じすぎてオタク化すると、あるいは「仕事」や「立場」やナントカ「政治」など組織事情(?)が先走ると、つい本末転倒してしまう。例えば、ピクサーが1975年の NYIT(ニューヨーク工科大学)CG研究所時代、自分たちが発表した映画『ダビー』を、

キャットルムたちは、痛ましくて見ていられなかった。(中略)コンピュータ野郎たちにとって、これは啓示の瞬間だった。(中略) 技術の才能を集めても(『ダビー』には重大な技術的問題もあったが)、とびっきりの機材がそろっていても、それだけではだめなのだ。(中略)シュアーは(清水注:NYIT 創設者で『ダビー』の監督でもあった億万長者)すばらしい先見の明に恵まれていたが、彼らのウォルト・ディズニーにはなれなかった。(p55)

と、餅は餅屋。これは(↑)技術に対してストーリーや演出など、いわゆる人文的な知恵が軽視された結果かと思いますが、逆に技術分野でも、繊細さや思想を欠く “力技” では結局(↓)どうしても、たかが知れている? いや、こんなふうに後から言うのは簡単なんだけどさ。

ホイットニーとデモスのチーム(清水注:当時キャットムルたちの主なライバル)は、小難しいアンチエイリアシングのアルゴリズムではなく、解像度を高めることによって問題を解決すべきだと考えた。(中略)結果的に、解像度を高めてもジャギーは気に障った。(p77)

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「ウォルト・ディズニー・カンパニーの心臓であるだけでなく、血液であり循環系でもある」(p419)アニメーション、「こういった映画がもたらし得る価値は、莫大です。しかもわれわれの世代どころか、何世代にもわたって永続する価値なのですから」(p420)という、そんな代物のじつにCG分野における黎明期。もうひとつホイットニーとデモスのチームによる、1987年のシーグラフ発表映画『スタンリーとステラ』についても、

ピクサーの一団は、技術的には興味をそそられたが、(中略)ラセターは魚のステラには感情が欠如していると思った。ステラは確かに動いてはいたが、生きて感情をもっているという意味ではアニメーション化されていなかった。(p172)

要は、何をコンピュータに計算させ、何に人間はこだわるべきか、本末転倒せずに。どうしたら人はノルか? 1980年代のシーグラフでは「新興のコンピュータ・アーティストの集団が、技術の観客には複雑で不愉快なだけの前衛芸術映画で日程を締めくくることが多かった」(p80)とも。黎明期。キャットムルは「コンピュータ・アニメーションは、人々が日常生活に対する感覚をもとにもっている期待に沿わなくてはならないと固く信じていた」(p75)。「たとえば、ウッディ(清水注:映画『トイ・ストーリー』シリーズの主人公)があるシーンで嫌みになりすぎている、といったことが、ジョン(ラセター)にはわかる」(p300)。

「CGは何もかもを変えてしまうと、もちろん俺たちも考えていた」スミスは言う。(清水注:アルヴィ・レイ・スミス=「第一級の科学者だが機を見るに敏、要所要所で舵取りをしてきた」が、スティーヴ・ジョブスと決裂、退社後はピクサーの公式記録から抹消されてしまう……訳者あとがき p439 より)「だがそこに行きつくまでには、遠い道のりだった」(p141)

遠い道のりの先、の現在。CGは何もかもを変えてしまったのか? 過去形じゃないけどさ。コンピュータを使いながら「感情が欠如している」人、たしかに多い気がする(おいおい)。それがまぁ、クールさのスタイル(紋切り型)=ポーズであるうちはともかく、本質的に感情が欠如してしまった日にゃ、それ、おもしろいか? ……それこそディズニー映画にあるのかしらん、こんなお話も。



P. S.

誤解のないよう繰り返しますと私、いわゆるアニメやマンガよりも前衛芸術のほうが、ずっと好きな青春時代を送っていました。いまも基本的に前衛だとかノイズだとか好きですし、安直なヒューマニズムむしろ嫌い。そこで最後に、ジョン・ラセターに関するこんな(↓)引用を。

新しい媒体は身近な世界に根を下ろしていてこそ、観客に受け入れられる(中略)彼がこう考えるようになったのは、兄のジム・ラセターと交わした会話が大きい。(中略)「型破りな」布地を使って伝統的なスタイルの洋服をつくるか、伝統的な生地を使って型破りなものをつくるのがいいんだ(中略)「でもどっちもやろうとすると、つまりとんでもない布地をつかってとんでもないパターンをつくろうとすると、絶対に受け入れてもらえない」(p431)


真逆のパートナーが要るってことだな。

2017年1月6日金曜日

ローレゾ通信(2017年01月号)


Bcc:でお送りしています。
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 ローレゾ通信(旧モザイコ・ニュース)
            ULR news letter …… 2017年01月号

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配信日:2017年01月06日(金)※等幅フォント推奨。

〜〜《目次》〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  ◎ 本年もよろしくお願い申し上げます。

  ◎ 昨年のニュース10

  ◎ 誰のものでもない仕事や作品(環境について 1)

  ◎ あとがき(環境について 2)

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今日おそらく時期的に、メルマガたくさん届いて皆さんお困りのと
ころにまた一通。年賀状みたいなもので。季節物ですから、何卒ど
うぞ大らかな心でひとつ。

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■ 本年もよろしくお願い申し上げます。
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賀正ーん(ガショーん)……という挨拶で今年は Twitterのほうも
始めましたが、もちろん、クレイジーキャッツ・谷啓さんの有名な
ギャグのもじり。

あの「ガチョーン」と(ちょっと照れた感じに)まばたきしながら
ポーズとって言うのが、なんとも可笑しくて。その元ネタあってこ
その思いつき。昭和ですな。で、思いつきといえば、そう、お餅つ
き(強引)。つかなくなりましたけれども、おもち。

これは私のオリジナルだったと思いますが、ふと何年前だったかに
思いついたコレ(↓)……職場やご家庭でぜひ。

お正月は、おもちを食べて、おもちろい。


(30秒ほど無言。OK、そのあと気をとり直して)

ナニぃ? 食事が「おもちろい」とは不届きな! まったく近頃の
若い連中ときたら。本当に、困ったもんですな。ロクなこと考えな
い。奴ら、谷啓も知らないもんだから「賀正ーん」だって通じない
し。コラムの展開も強引だし、だいたい語り手のアイデンティティ
も超イイカゲンで(いまこれ誰がどの立場でしゃべってるんだ?)
まったく、ふざけてるんだか真剣なんだか。

私のほうからもよく言っておきますから。

がんばれ、って。皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます、って
本当に。本年もよろしくお願い申し上げます、って近頃の若いもん
にも先輩方にも。何卒!


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■ 昨年のニュース10
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年賀状をとうとう完全に作らなくなったこともあって、本当はこの
ローレゾ通信、昨年末に配信できたらと思っていました。

が、バタバタのなか間に合わず。なんとか松の内にと本日、すべり
込み配信。お久しぶりでございます、じつに昨年の3月以来。4月以
降にご縁のあった皆様には、あらためまして。……お世話になって
おります。

いろんな方々といろいろ部分的にしか(当たり前ですが)お目にか
かれないため、お伝えできていないことも多く、ざっと概観してい
ただく意味でも昨年は不肖私、こんなことを(↓)やっていました
というご報告から。

mozaiko lab.ブログ「昨年のニュース10」
http://mozaikolab.blogspot.jp/2016/12/10.html

「ナントカ、暇なし」じゃないですが本業以外のいろいろ副業や活
動のおかげで、ものづくりの感覚もなんとなく個人的に激変(これ
誇張でなく)した昨年だったように思います。

次へ(↓)続く。


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■ 誰のものでもない仕事や作品(環境について 1)
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長々と書いてもアレなので、手短かに。

冒頭の「賀正ーん」もそうでしたが、急に思いつく。それも、思い
つこうとして考えていて、じゃなしに突然。ふと。何なんでしょう、
これ。

そんなふうにして出来上がったモノやコトが身の回り、意外に多い
気しませんか? すっかり定番になってしまったモノやコト、後か
ら見たら「必然」にしか、見えないようなモノやコトであったとし
ても。始まりは意外に、ふとした……

それを私、これまでは「偶然」と言っていました。たまたまです/
たまたまでしょう、と。ものが、生まれたり消えたりする「たまた
ま」は、しかし、環境ということを考えてみると、そう安直なもの
でもない気が最近は、しています。

ダジャレが生まれるには、そのための環境が要る。例えば、退屈な
会議だとか昨夜の深酒だとか(おいおい)また、その状況をさらに
作り出した、いわゆる社の方針だとか、悪友の誘いだとか。いろん
なものが二重三重にかさなった先に、ふと出てくる、おなら、じゃ
なくて、ダジャレ。またそれが、可笑しくなるのも環境のおかげ?
例えば、新人の困った顔だとか、場違いーな雰囲気だとか。

しょうがないですな、まったく年寄りは。ダジャレ。他人や社の迷
惑かえりみず。クレイジーキャッツの植木等の定番ギャグはそれこ
そ「お呼びでない? こりゃまた失礼(いた)しましたー」と、ふ
てぶてしい。困ったもんで。

この、他人や社の迷惑かえりみず、というのが「空気」であり環境
なんですな、おそらく。むずかしい言葉でいうと「文化のインター
テクスチュアリティ」(本気にしないように)、やさしい言葉でい
うと「おかげさまさま」(これも文脈的に無茶すぎ)。


とにかく。なんでこんなの出来ちゃったんだろう? と自分たちで
さえもが思う(たまに呆れる)ようなモノやコトが皆さまと、作れ
ますように。要するに、想像のもっと先へ! 今年いろんな分野で
セッションしてみたく。よろしくお願いいたします。

(手短かじゃなかったです、結局)

P.S. そういえば昨年、こんなのも(↓)読みました。
http://mozaikolab.blogspot.jp/2016/10/dogs-dont-tell-jokes.html



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■ あとがき(環境について 2)
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モザイコ・ニュースもう出さないんですか? と、ある場所で年末
にも訊かれ「わ、読んでもらえてたんですね」と思わず私。自分で
驚いたりなんかして。

その言葉もあって、おかげさまで、ローレゾ通信(旧モザイコ・ニ
ュース)ひさびさの配信となりました。ありがとうございます。


年末年始の読書は今年、デイヴィッド・A・プライス『ピクサー 〜
早すぎた天才たちの大逆転劇』でしたが(いわばイノベーションの
現場における精神論・組織論・人生論。見事なドキュメンタリー)
まだ読了できておらず、また後日。よかったら mozaiko lab.ブロ
グ覗いてください。


また、今年たまたま、ほとんど30年ぶりに(いまでも大丈夫どころ
か全然やはり、素晴らしくて胸をなでおろしながら)観直すことに
なったヴィム・ヴェンダースの映画「ベルリン・天使の詩」の中の
セリフに、


     偶然はもう、おしまい。


というのがありました。今回、三つめのコラムのような思いもあり、
とても印象に残ったセリフ。

Wings Of Desire(ベルリン・天使の詩)Trailer
https://youtu.be/FPyWp4DtzSg

いろんな方にお会いしたり、いろんなことを思いついたり、お誘い
いただいたり、ウケたり、あるいは逆に悔しい思いが次の扉を開い
たり、などなど自分はこう見えて基本的に「ついている」と思って
生きてきました。じつに偶然だ、ラッキーだと、昨年まで。

今年から目線をぼちぼち「偶然」から、それをもたらす「環境」の
ほうへシフトできればと。浄土思想? 環境づくり? 具体的に例
えるなら、退屈な会議だとか前日の深酒だとかの奨励(おいおい)。

……OK、悔いなし。どうしてもシャレにしたくなる。そんな奴です、
相変わらず。またお会いしましょう! 引き続きよろしくお願いい
たします!

                        (おわり)

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ローレゾ通信(旧モザイコ・ニュース)は多くの皆様に配信してい
ます。これまで何らかのコンタクトがあった方にお送りしています
が、もしご迷惑な場合はこれに直接ご返信(空メールで結構です)
いただけましたら、配信停止いたします。

またローレゾ通信(旧モザイコ・ニュース)は、改変を伴なわなけ
れば、転送や引用は自由にしていただいて結構です。

よろしくお願いたします。

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 ULR Painting / モザイコ http://www.mozaiko.info
 清水温度 ONDO Shimizu

 〒503-0848 岐阜県大垣市古宮町161-A14 モザイコ

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以上ようなニューズレターを、いま見返したら 2009年08月から配信していました。画像もなんにもない、えらいクラシックな形式。バックナンバーは コチラ に。最近サボっていて昨年は結局 1号だけだったんですが、今年は先ほど(1月6日の15時半くらいに)配信し、資源の再利用でもってこのブログにも。

このブログで初めてご覧になった方にも、よろしくお願いいたします。「ヤベ、いいこと書きすぎた」と思ったら削る節度・こだわりを、芸風ににまで高められたらと。噺家さんのような軽妙洒脱さに憧れつつ、しかしまだ正直、いいことまで行かないうちに削りすぎて、なんだか分からなくなってしまうという……困ったもんで。精進します。


2016年12月27日火曜日

今年のニュース10

年末なので一応、ざっと今年のまとめをば。とりあえず10個、自分的にニュースを選ぶとしたら何だろう、と。あとは今年 2回目のローレゾ通信/旧モザイコ・ニュース、間に合うのか?!


01:ULR展@田口美術


昨年特許出願した「超低解像度(ULR)画像作成装置」により制作された “手描き” 絵画作品を、4月9日(土)〜17日(日)田口美術にて展示販売しました。画廊でこういうことするの、じつに初めてでありまして。その後も引き続き、Gallery 水無月さん共々お世話になってます。遅まきながらの画家デビュー。

シンメトリー合成(ほんとに目が 3つあるわけじゃないですから)


02:ULRレリーフ絵画


で、さらに「超低解像度画像作成装置」により。5月から制作開始し、ようやく11月にひとつ完成。ソフトピアジャパン Fab-coreにあるレーザー加工機を使ってのレリーフ絵画。途中、展示会のことや製造工程合理化についての試行錯誤など、いろいろプランやスケジュール変更ありながらも、どうにか。来年(2017年)お披露目します。

ほとんど工業製品な、これでも絵画(しかも具象)


03:PCT国際出願


これも「超低解像度画像作成装置」関連で、国内審査請求に先立ち海外でも権利取得(の可能性)をおさえておくための国際出願。12月にジュネーヴのWIPOから無事、受領書到着。とはいえ、たいして売上もないうちから費用のかかることばかりで、これも私、初めて公的金融機関から融資を受けました。要は借金。

WIPO(左)&  岐阜県発明協会のあるVRテクノセンター(右)


04:「Beginner's Luck」& Remix


数十年ぶりに絵筆をにぎった2012年から、トレーニングがてらに描いてきた裸婦(今年8月までの全25点)を「Beginner's Luck」という冊子にまとめました。7月に企画を考え、そのあと友人に撮影お願いしたりデザイン協力してもらったりしながら10月あたまに完成。で、その販売もさることながら11月に突然、Remixすることを思いついて現在も作業継続中。これも来年どこかでお披露目できればと。

「Beginner's Luck」(右)&  その Remix の一部(左)


05:Brush Strokes(アナログ絵画)


今年はヌードを5月8月に1点ずつ、それと11月の岐阜県美術館の講習会で着衣を1点。あ、あと鉛筆で3枚というか2枚半。少なっ。でも、音で(後述)描いたり、上の(↑)Remixも私にとっては、まさにペインティング。アナログ感/Brush Stroke “的なもの” 感、ますます強く。まったく同じことをやってるつもりです全部。いつか詳述できればと思いますが。

左は着衣、右はヌード(どちらも油彩)


06:iMac壊れる。


9年目のiMacが 6月中旬、突然不調になりデータ救出や代わりのMac(mini)購入や、それに伴うAdobe製品のトラブル&アップデートなどなど。しかも新しいMacにまたHD故障あり結局、作業環境が完全に復旧するまでに1ヶ月。散々でした。Appleサポートの優秀さに救われつつも、いろいろ考えさせられました。やっぱコンピュータには頼るべきじゃないな、とか。

写真はフィクションです(取材中に壊れたわけじゃないですから)


07:こどもはなうたコンテスト


お手伝いしている地元企業の企画「こどもはなうたコンテンスト」も今年ついに5年目。審査員長の音楽家あいのてさん、そして子どもたちの影響も私にとって大きいです。仕事なのに本当に勉強になります、ますます。はなうたの生まれる環境について、その一回性/現場性(=いいテイクの “かけがえのなさ”)について、などなど。

今年のはなうたコンテストCDジャケ


08:音楽セッション & リサイクル楽団


プレイヤーとしても今年よくセッションしました。おかげで、ものづくりの方法というか考え方、勘どころが激変。何かを、きちんとやるか伸び伸びやるか仮に二者択一としたら、もう、迷わず後者! ゴミで演奏する「リサイクル楽団」も春から夏にかけて地元のあちこちでギャラいただきながら演奏。趣味と実益を兼ねたこういう地域活動なら、無理なく続けられて関係者やメンバーに感謝。

リサイクル楽団(左)&  UFO少年とDJと白髪ジジイ(右)


09:ゆるゆる英語サロン(ホニャララ先生その1)など


岐阜のカフェで始めた「ゆるゆる英語サロン」の試み(3名以上/1人500円)も、ポシャリかけたりしながらも意外とおかげさまで続いておりまして、なんと来年も。で、その関係で Craftwifeさん教えてくれたもう少しコアな英語サークル「Eager Beavers」にも私、秋から参加中。あ、その代わり太極拳のほう(やりたいんだけど)中断しちった。

ゆるゆる英語サロン(左)&  ゆるめの EAGER BEAVERS マーク


10:家庭教師(ホニャララ先生その2)


お金のために始めたアルバイトがだんだん増えてきてしまい、いま中学生の女の子3人と男の子1人。おいおい。丸暗記ということが昔からまったくできない(ある意味、教えている生徒たちよりも頭がわるい)人間なので、ものごとの “原理” をできるだけシンプルにテクニカルに。逆に、アプリケーション(原理をつなぎ合わせ、適用すること)は後から、どうにでもなると思う。

家庭教師じゃないじゃんコレ(今年1月の IAMASでのレクチャーより)



……ということで、やっと終わった、今年のニュース10個。このあいだ12月20日のプレゼンだとか他にも、これからニュースになっていきますように(祈)!